今夜は一人静かにパソコンに向かっているので、ちょっと思うことをつらつらと・・・。
先日、百田尚樹の著書「永遠の0」 映画化されているというので、その画面を目にしないうちにと読みました。 「主人公が、太平洋戦争で零銭乗りだった祖父の存在を知り、その人物像を追っていく過程の物語」 うんうん、読み終わって、こんな気持ちになると思っていたんだよね。 他人事ではなく、我が夫(とうちゃん)も、父親を写真でしか知らないんだよ。 私が嫁いで来た時、すでに大病の床にいた姑の介護が続いた一年足らずの間、ポツリポツリと聞いた話。 見合い結婚で慌ただしく式をあげ、数か月の暮らしで戦地へ戻って行ったのだそうです。 お腹の子供が生まれるのを待つことが出来ずの出兵。 とうちゃんが無事生まれた(昭和17年末)ことを、写真を手紙に入れて送ったそうです。 返事はこないままで終戦。 昭和19年末に、フィリピン沖にて戦死との報せが終戦の年に届いたそうです。 手元に届けられた遺骨箱、、、、乳飲み子を抱いた若い母親のところへ帰ってきた夫は、小石二つだったそうです。 墓には、空っぽの骨箱を収めたんだって。 小石は? 「バカにするなっ!」って、庭に投げ捨てちゃったんだってさ、悔しくて。 なんてことを!なんて、非難できやしないよね、想像も出来ない悔しさ、悲しさ、空しさだと思うもの。 こんな、こんな悲しい話が特別なことじゃなかったんだよね。 だって、あの戦争では、五万と、いや戦死者数は数百万だったんだものね。 同じ思いをした人達が、どれほどいたことか・・・。 ま、この本を読みつつ、姑の顔、そしてとうちゃんのことを重ねていたよ。 自分の父親とはどんな人だったのだろうかと、うちのとうちゃんも考えただろうか。 母親には、一度も聞いてくることはなかったそうです。 とうちゃんの口からは、一度も父親の話はでたことはありません。 私からも、姑から聞いた話はあっても、それについてとうちゃんに話したこともありません。 私の父親という人も、終戦後をうまく生きられず壊れていった人です。(私も写真でしか知らず) 姿を知らぬ父親の話は、言葉にだすこともなく其々の思いを胸の中にしまってこれからもいくことでしょう。 この本を読み終えたあと、ちょっと胸がツクンとして、お互いの顔も知らぬ父親のこと考えていました。 彼らはあまりに若かったよね。 <平和な朝だね・・> 何気ないこんな光景は、貴重でありがたいことなんだよね。。。。って、しみじみ。 さ~て、明日からGW後半戦! サイクルロードレース、「ジロ・デ・イタリア」が始まるぞ~~~!忙しくなるぞ~!
by iidaka55
| 2013-05-02 22:47
| その他話
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